ぼくらは仕事で強くなる。

人や組織のこと、事業のこと、働くってこと。LoanDEAL代表のブログです。

負けたから終り、なんじゃない。

特にスポーツの世界がわかりやすいと思うんですけど、なんでここで、この人が負けるんだろうなー、ってことがよくありますよね。最近だと、レスリングの吉田が銀メダルに終わっちゃったとか、ボクシングの内山とか、ちょっと前だと、サッカー日本代表で最後に香川がPK外したとか。

 

そりゃぁもちろん、負けたら苦しい、悲しい、悔しい。でも、それは終わりじゃないんだと思うんです。それが始まりなんだと。スポーツの世界では、圧倒的な負けによって現役引退を決意する人もいる。もしかしたらスポットライトのあたる舞台(つまり見ず知らずの人がその人の情報を入手できる機会)は減るかもしれない。でも、その人の人生は続いていくし、その「負け」というストーリーが絶対にその人生の中でバネになっていく。次の「勝ち」につながっていく。

 

夏の甲子園、よく話題になる田中将大斎藤佑樹の投げ合い。もし決勝で勝ったのが田中だったら、彼が最後の打者じゃなかったら、彼は今、ヤンキースに居れただろうか、とか思っちゃうわけです。オリンピックとかサッカーW杯とかでも、予選を圧勝したチームより、ギリギリで本大会に出れたチームが優勝したり、ってよくある話。

 

つまり、どこで「負け」がくるかっていうのがとっても意味のあることなんだと思うんです。何をもって勝ち負けとするかはそれぞれ違うけれど、それぞれの尺度の中で。

 

そこから転じて、企業とか起業の話。会社を作るっていうのは「法人」という、新しい人を作るもので・・・みたいな話が、起業マニュアルとかに書いてありました。ただ、普通の「人」と違う(そりゃもちろん違うんだけど笑)のは、寿命が明確だってことだなーって思うんです。このままいったら、201x年x月に死ぬってことがわかる。その寿命は延びたり縮んだりする。

 

つまり、自分たちが命と見立てた事業をやるために「法人」は生きているのだけれど、「死」っていう勝負できない状況がくることを明確に突きつけられている。それはベンチャー企業だって、本当は大企業だって同じ。この事業をやるために、生きたいと思う。だから勝負をする。そういうもんなのかもしれません。

 

でも、それを起業家個人・社員個人の話にすると、例えば企業が「死」を迎えたとしても、人にとってはただの「負け」に過ぎない。さらに、人間に関していえば寿命はわからない。だから、タイミング次第で勝って終わるかもしれないし負けて終わるかもしれない。それはコントロールできないから、勝って終わりたいなんて考えることは不毛。いずれにしても、そこで残るのは勝ったか負けたか、ではなくて、どんな勝負をしたかってことだと思うんです。

 

勝負をしている世界は、楽しい。勝負をしている人は、美しい。

 

ただ、負けるの、嫌だよね。ちょー怖い。格好悪いし。でも、たいがいの勝負で、僕らは負けたからって死なない。(ずいぶんといい時代に生きているなぁ。)死んだら勝負できないけど、裏を返せば、生きているってことは勝負できるってこと。

 

だから、負けたやつに言いたい。特に派手に負けたときに。それは自分に対しても。すべては「負け」から始まるんだ、って。せっかく派手に負けたんなら、そこで勝負をやめたらもったいない。絶対、次はもっとでかい「勝ち」があるぜー、って。

 

そう思っていたら、きっと、いつだって恐れることなく勝負できます。

 

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