ぼくらは仕事で強くなる。

人や組織のこと、事業のこと、働くってこと。LoanDEAL代表のブログです。

矛盾という器

人にとって、組織にとって、その中でどれだけの矛盾を共存させられるかっていうことが「器」になるんじゃないかなぁ、と思うんです。何かひとつのことにすごく秀でている人ってたくさんいるけど、そういう人よりも、すごい厳しいけど愛情たっぷりの上司、とかのほうが「器」がでかそうなイメージがあるんですけど、どうでしょうか?

どんな仕事であれ(まぁ仕事以外でも)、私たちはしょっちゅう矛盾に直面します。何か、コンテンツをつくっていれば「量と質」のどちらを追うのか?って話になる。プロジェクトにかかわっていれば、「納期と完成度」のせめぎあいになる。何か新しいことを始めようとすれば「安定とリスク」の間で揺らぐし。

で、いろいろ葛藤はするものの、結局のところ「まぁ、これとこれはトレードオフだよね」なんて言って折り合いをつけながら、どっちかを選択して日々を過ごしていたりするわけです。

でも、当たり前の話なんですけど、本当は「どっちも」が理想的な答えなわけですよね。

大学を卒業したての頃、写真のワークショップみたいなところに通っていたことがあって、その時に森山大道さんという(すごく有名な、と補足するのも恐れ多いですが・・・)写真家の方に話を聞いたり、写真を見ていただいたりしたことがありました。すごく有名な方だとは知っていたものの、正直、当時の私は森山さんの話にすごく違和感を覚えました。ご自身のとられた写真についてひどく説明的に、そして、すごく当たり前のことをずいぶん御託を並べて話すなぁ・・・と。

今にして思えば、どうにも自分の浅はかさを恥じる次第ですが、当時、芸術表現とはとにかく感覚的なものだと、感性を研ぎ澄ませていくことこそすべてだと、そんな風に思っていたわけです。しかし、本当に表現をしている方は、そうではなかった。なぜ写真をとるのか、なぜこの写真を撮ったのか、なぜこういう見せ方をしたのか。それらをものすごく明確に、深く意識している。そしてそれを超越してあまりある感性によって表現が完成されている。見事に両極に振り切れているんですね。

芸術表現に限らず、あらゆる仕事が、こうあるべきだよなぁ、と最近改めて思うわけです。量を増やしたいから質を落としてもよいよねとか、納期を守りたいからまずまずの完成度でいいよね、とか。論理的に考えて、とか、選択と集中とか言ってみたりすると、それっぽい感じになっちゃうけど、それって素人の仕事なんだ。それでメシを食っている以上、いかにしてすべてを成り立たせられるのかを突き詰めるべきだ、と。

一個人のスタンスだって同じで・・・自分の価値観を明確に持つことは大事だけれど、だからといって異なる価値観を受け入れることが不要になることはない。周囲とうまくやることは必要だけれど、議論を回避してよいわけがない。このブログだってそうで、頻繁にアウトプットすることを習慣づけたいけど、じゃぁなんかテキトーなことを並べていたら誰も読んでくれなくなっちゃうだろうし。(結果的に、あんまりアウトプットできていないのだから目も当てられませんが・・・。)

どちらか一方に寄っていたほうがずいぶん過ごしやすいはずです。なんだか宙ぶらりんに、あっちに行ったりこっちに行ったりしていたら、どうにも落ち着かない。両方を手にしようと思ったら、手が浮かばなくて途方に暮れそうだし。でも、そこで踏みとどまってあっちにもこっちにも行きたい、あれもほしいこれもほしい。矛盾を矛盾で片づけるのではなく、その中でさまよって、葛藤して、試行錯誤して、考え倒していこうと思うんです。

そして、どうにかして相反する二つの事柄をそれを成り立たせられたとき、そこに呑み込めた矛盾の分だけ「器」が少し、広がっているのかもしれません。そういうわけで、今日も明日も、粘って粘って、過ごしていこうと思う次第です。