ぼくらは仕事で強くなる。

人や組織のこと、事業のこと、働くってこと。LoanDEAL代表のブログです。

100年人生の人たちが働く未来企業ってどんなだろう。

ちょっと今さら感もありますが、リンダ・グラットンさんの『LIFE SHIFT』を読み終わってから、またまた読みかけだった『未来企業』を立て続けに読んでたらちょっと頭が混乱したので、その話を。

『LIFE SHIFT』では、平均寿命は100歳を超えて80歳くらいまで働くことが当たり前になって、そのキャリアはパラレルになることもあるし、全然違う職業へ転身(変身)する能力が求められるようになるということが指摘されています。有形資産だけではなく無形資産を蓄積すべきという話や、人生の途中での学びなおしの必要性なども、100年人生と考えたときにはとても納得感があります。

一方で、『未来企業』は、不確実性の増す世界では企業にレジリエンス(ざっくりいうと適応力、回復力、弾力性)が求められるという話です。そして、企業におけるリーダーシップには、組織を後世に持続させる可能性を重視し長期的(25年以上)な時間の幅で戦略を立てる能力が必要になってくると指摘されています。これもまた、仰るとおりだなぁと思うわけです。

ちょっと余談になりますが、(正確な数値は忘れましたが)創業家が代々継いでいる企業の方が利益率が高いとか、イノベーションを起こしやすいと聞いたことがあります。これは子供や孫に組織を譲りたいという思いが強いからでしょう。また、300年以上続いている企業の半分以上が日本にあるそうです。このあたりのことから考えると、『未来企業』に指摘されているような長期視点を持ったリーダーシップというのは、日本企業の強みなのかもしれないなぁと感じます。

話を戻して・・・

『LIFE SHIFT』に書かれている個人の視点、『未来企業』で指摘される企業の視点、それぞれに納得感があるものの、これをどうやって両立させるのはとても難しいことだな、と思うのです。

個人が人生を充実させるには画一的なキャリアは回避すべきだが、企業のリーダーとなるべき個人が長期的に企業の成長を考えるためには、それなりに長期間にわたって企業との関係を維持していることが必要だと思うわけです。では、リーダーとなるべき個人は変身をあきらめざるをえないのか、変身能力は低いが長期視点を持てる人がリーダーとして適性のある人なのか。

平たい言い方をするなら、どんどん他の会社に移っていくようなキャリアの中で、それぞれの企業の将来、つまり自分が辞めた後の企業のことを考えながら戦略を考える、なんてことのできる人って、どれくらいいるものでしょうかね。

『未来企業』の中に書かれていた話でちょっと印象的だったのは、「一般的に後継者選びの担当者は70~80%を社内で育成し、残り20%は社外から幹部として招聘している」という話です。さらっと書かれているんですが、もちろんこれは日本企業の話ではありません。(ちなみに東証一部上場企業のうち、新卒社員が代表者となっている企業は全体の60%だそうです。)つまり、企業がリーダーを決めるときには企業文化や価値観との適合性というのが重要視されるというのは万国共通のようです。

個人のキャリアにおいては選択肢を広げられる能力の蓄積が求められ、企業には今以上に長期視点が求められる。こう考えると、個人は単に転々と新しいキャリアを求めるのではなく、何かしらの軸(これが、例えばある特定の企業という軸)を持ったうえで選択肢を広げるというやり方が良いのではないかな、と思うのです。これ以上書くと、ポジショントークになっちゃいそうなので、このくらいにしておきますが、ぜひ他の考え方やご意見があれば、教えていただけたらとても嬉しいです。

いずれにせよ、働き方についての話がとても増えていく中で、個人としてどうあるべきか、企業としてどうあるべきか、両方の視点を行ったり来たりしながら考えないといけないんじゃないかなぁと思う今日この頃です。

f:id:haradaMIRAI:20170204142356j:plain

負けたから終り、なんじゃない。

特にスポーツの世界がわかりやすいと思うんですけど、なんでここで、この人が負けるんだろうなー、ってことがよくありますよね。最近だと、レスリングの吉田が銀メダルに終わっちゃったとか、ボクシングの内山とか、ちょっと前だと、サッカー日本代表で最後に香川がPK外したとか。

 

そりゃぁもちろん、負けたら苦しい、悲しい、悔しい。でも、それは終わりじゃないんだと思うんです。それが始まりなんだと。スポーツの世界では、圧倒的な負けによって現役引退を決意する人もいる。もしかしたらスポットライトのあたる舞台(つまり見ず知らずの人がその人の情報を入手できる機会)は減るかもしれない。でも、その人の人生は続いていくし、その「負け」というストーリーが絶対にその人生の中でバネになっていく。次の「勝ち」につながっていく。

 

夏の甲子園、よく話題になる田中将大斎藤佑樹の投げ合い。もし決勝で勝ったのが田中だったら、彼が最後の打者じゃなかったら、彼は今、ヤンキースに居れただろうか、とか思っちゃうわけです。オリンピックとかサッカーW杯とかでも、予選を圧勝したチームより、ギリギリで本大会に出れたチームが優勝したり、ってよくある話。

 

つまり、どこで「負け」がくるかっていうのがとっても意味のあることなんだと思うんです。何をもって勝ち負けとするかはそれぞれ違うけれど、それぞれの尺度の中で。

 

そこから転じて、企業とか起業の話。会社を作るっていうのは「法人」という、新しい人を作るもので・・・みたいな話が、起業マニュアルとかに書いてありました。ただ、普通の「人」と違う(そりゃもちろん違うんだけど笑)のは、寿命が明確だってことだなーって思うんです。このままいったら、201x年x月に死ぬってことがわかる。その寿命は延びたり縮んだりする。

 

つまり、自分たちが命と見立てた事業をやるために「法人」は生きているのだけれど、「死」っていう勝負できない状況がくることを明確に突きつけられている。それはベンチャー企業だって、本当は大企業だって同じ。この事業をやるために、生きたいと思う。だから勝負をする。そういうもんなのかもしれません。

 

でも、それを起業家個人・社員個人の話にすると、例えば企業が「死」を迎えたとしても、人にとってはただの「負け」に過ぎない。さらに、人間に関していえば寿命はわからない。だから、タイミング次第で勝って終わるかもしれないし負けて終わるかもしれない。それはコントロールできないから、勝って終わりたいなんて考えることは不毛。いずれにしても、そこで残るのは勝ったか負けたか、ではなくて、どんな勝負をしたかってことだと思うんです。

 

勝負をしている世界は、楽しい。勝負をしている人は、美しい。

 

ただ、負けるの、嫌だよね。ちょー怖い。格好悪いし。でも、たいがいの勝負で、僕らは負けたからって死なない。(ずいぶんといい時代に生きているなぁ。)死んだら勝負できないけど、裏を返せば、生きているってことは勝負できるってこと。

 

だから、負けたやつに言いたい。特に派手に負けたときに。それは自分に対しても。すべては「負け」から始まるんだ、って。せっかく派手に負けたんなら、そこで勝負をやめたらもったいない。絶対、次はもっとでかい「勝ち」があるぜー、って。

 

そう思っていたら、きっと、いつだって恐れることなく勝負できます。

 

f:id:haradaMIRAI:20160819124801j:image

ひと月は光のように早くて、昨日は果てしなく遠い。

どこに、か判らないけれど、なんだか最近、導かれている感じがするんです。

 

元来、私は、なるようになるとか、あるがまま、みたいなことがすごく苦手で、いつも力んで足掻いて悶々とする性質なんですが、それでも最近、いろんなことが実は予定調和なんじゃないかって感じることが多くて、今日はそんな話です。

 

例えば・・・

 

ある資料の提出期限の日に入っていた商談の予定が、立て続けにリスケになって一日すっぽり空いてしまって。あぁこれって資料作りをがっつり集中してやれ、クオリティを高める努力をしろ、ってことなのかなと。

 

そうかと思えば、しばらく連絡がつかなかった方々から立て続けに連絡をもらえたり。別に意図も期待もなく参加したコミュニティで、こういう人に会いたいなぁと思っていた人に、偶然出会えたり。

 

今まで、あんまりビジネス上で同じ大学の出身者に会うことはなかったのですが、最近になって急に30歳も上の大先輩に会って応援をしてもらえるようになったり、同級生に15年ぶりに会ったら、同じような領域で事業をしていたり。

 

2015年9月15日にサービスをローンチしたのですが、その翌朝、祖母が亡くなりました。なんだか、1日待ってもらったような気がしました。そして、ローンチ後の目まぐるしい展開の中で、静かに、目を伏せる時間をつくってもらったような。

 

・・・こんなふうに、毎日毎日、いろんなことが起こります。何だか一つひとつが仕組まれたような感じで。

 

傾向としては、何かに依存したり 、誰かにもたれかかるような発想を持っているときは良い方向に行くことはありません。結局、ネガティブなことが起きるってことは、自分のコントロールできる範囲の外にあるからなんですよね。だからそこにはたくさんの示唆があって、自分が自分で立てている場所と、そうじゃない場所に気付くきっかけをくれます。

 

そして、本当は、これって今に始まったことではないんだろうと思うんです。いつだって、起こるすべてのことに、何かしらの理由や意図があって、過去と、今と未来につながっている。まぁ考えてみれば当たり前ですよね。人はその3つの時間を連続して生きているわけですから。ただ、それに気づいているかどうか、そこから何かを読みとれるかどうか、なんだろうなぁと思うわけです。

 

すべては決められていて、なるようにしかならない。そういう前提に立ったら、随分と気持ちが楽になります。何が起きても、どこかに、何かにつながっている。不安も恐れも無意味だ。やりたいようにやればいいんだ。

 

日々があっという間に過ぎていくのに、1日が濃密すぎて、振り返ったら、あぁあれはまだ昨日の出来事か・・・みたいなことがたくさんあります。それは、いろんなものが時間軸を超えて絡み合って、繋がっているからなんじゃないかなぁと思うんです。それはとてもいい時間です。

 

一つひとつの出来事の意味を見逃さず、大切にやっていこうと思う今日この頃です。

大義はあとからついてくる。

起業して2か月、サービスをローンチして1週間の覚え書きとして。

2015年9月15日に「企業間レンタル移籍プラットフォーム LoanDEAL」というサービスをローンチしました。会社を設立したのは2015年7月7日。最初にこの事業の着想を得たのは2013年10月ごろ。

少しさかのぼりながら、この間のことを、書き留めておこうと思っています。

有給消化しながら少しずつ活動しはじめ、法人登記が終わって1か月くらい、8月前半までは、正直に言ってサービスをローンチすることすらできないんじゃないかと思っていました。商談に行っても要領を得ず、いろいろな方に話を伺っても糸口は見つからず・・・。「レンタル移籍、レンタル移籍」と念仏のようにしゃべっている自分がずいぶん滑稽に思えていました。

では、そこから1か月の間に何か突破口が見つかったのかというと、そんなものはありません。おそらく、そのころ相談に乗っていただいた方からすると、「なんだ、結局、何にも課題を解決しないでサービスを出したのか」と思われても仕方がないな、と思っています。

ひとつだけ変わったのは、それにしがみついている時間の長さ。そして、それを可能にしたのは、賛同してくれる人たちと出会えたことです。私がこんなことをやろうとしているというのを知って、誰かを紹介してくれる。その誰かが、また誰かを紹介してくれる。そうやって、まさに草の根が分岐してどんどん地中に広がっていくように、この1か月くらい、ものすごくたくさんの方にお会いすることができました。その出会いの中で、「その事業は必要だよ」と言ってくださった方、全く違う角度から事業を評価してくださる方、新しい機会を提供してくれる方、実績もないこの事業にコンテンツを提供してくれる方、お互い頑張ろうと話し合える方などなど。そういう出会いがなかったら、本当にローンチまで辿りつかなかった。感謝しています、とても。

その一方で、ローンチした記事をシェアしてくれた昔からの友人、いいねのリクエストに応えてくれた友人(ほんと、報告も挨拶もなしにリクエストしちゃってすみません)、コメントをくれた友人。そうやって、今までの自分の人生の中で出会った友人たちも、繋がって、根っこの中に絡み合ってくるような感覚がありました。

(なんか、根っこのたとえで申し訳ない・・・。)

そしてまたニュース記事を見て、メッセージをくれた方、SNSでコメントをしてくれた方など、私の始めた事業に反応をしてくれた方がとてもたくさんいて、正直、驚いたし、嬉しかった。

冒頭にも書きましたが、事業の着想を得てから2年が経ちました。ずいぶん時間がかかっているなぁ、遠回りだなぁと思われるかもしれないけれど、私にとっては必然だったような気がしています。この2年間にも貴重な時間が積み重なっていて、難しい時間もあったけど、それが少しでも欠けていたら、「今」はないような感覚があります。

そもそも、私がこの事業に取り組むきっかけとなったのは、P.F.ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」に出てくる一節でした。(今回の話としては余談になりますが・・・)

 日本が、終身雇用制によって実現してきた社会的な安定、コミュニティ、調和を維持しつつ、かつ、知識労働と知識労働者に必要な移動の自由を実現することを願っている。(中略)社会が真に機能するためには、コミュニティの絆が不可欠だからである。

2013年10月、この一節が、ものすごく当時の自分に響きました。環八沿い、用賀インター手前のスターバックスでした。最近では珍しいけど、その店は入り口脇に灰皿があって、雨の降る中、タバコを吸って何時間もぼーっとしていたことを思い出します。先日、ある経営者の方が、「起業するやつには自分だけに見えている光がある」とおっしゃっていました。あの時、読んだこの一節が、私にとっては光になっているようです。

ただ、その光はずいぶん遠く、かなりぼやけてしか見えていないなぁと思うのです。個人的にのっぴきならない想いもあり、何度もどん底を経験して辿りついたと思っているけど、そんなものは誰だって同じ。じゃぁ、ビジョナリーに世界が見渡せているかと言われたらそんなこともないし、戦略がきれいに構築されているわけじゃない。だから、立派な事業計画を書くこともできないし、自信がないことだらけで大してハッタリもきかない。ただ、しがみついていたってだけです。

これが、この2年間くらいのあらましです。

だから、あんまり良いやり方ではないかもしれないけど、何かにしがみつきつづけてみる、とにかく動いてみるっていうやり方もありなんじゃなかろうかという実感があります。

起業をするという観点で言うなら、最初から素晴らしいビジョンやミッションを掲げたり、戦略を構築したりということはできなくても、何か自分のピンときたものを始めてみる。そのうちに、根が生えて芽が出る。そんなやり方もあるのかもしれません。企業に属して働くということも同じで、最初は事業に対する共感が薄くても、今すぐに思うようなパフォーマンスが出せなくても、やっぱり「今」にしがみつくことで拓けるものがあるんだろうと思うんです。

もうかれこれ10年くらい、自分が為すべきことは何かっていうことを考えながら、仕事をしています。特に、娘 が生まれてから、きっといつか父親が何をしているかという話をする日が来るのだろうって思ってから、自分が働くうえでの「大義」って何だろうということをよく考えるようになりました。

ただ、振り返って思うに、「今」に全力をぶつけられる状態にあるかどうか、それは自分の意識もそうだし、環境もそうだし・・・そういう状態に居られることこそがとても大切なんだなと思うんです。何も明文化された何か立派なものなんてなくてもいい。でもすべてをぶつけられれば、自分はいくらでも変われる。そうしたらきっと、大義はあとからついてくるんじゃないかな、と。

自慢ではありませんが、課題は山積みで、感傷に浸っている暇もありません。ただ、私にとってこの事業が、自分が生涯をかけて取り組める事業かと問われたら、2か月前よりも、もちろん2年前よりも、ずっとずっと強く、そう思います。支えてくれた人への恩返しなんてきれいごとを言うつもりはありませんが、しがみついて、何としても生き延びて、この事業を成し遂げたいと思っています。

 

f:id:haradaMIRAI:20150923234050j:plain

人生はポートフォリオじゃない。

起業をすることにしました。そのあたりの経緯というか、どんなことを考えたかということを、備忘録的に記しておきたいと思います。

「人生はポートフォリオじゃない。」

ちょっと前に友人に薦められて読んだ、「ZERO to ONE」(ピーター・ティール)という本の一節です。大まかに言うと・・・
誰もが自分の人生に対する投資家だ。自分の時間をどこに投資するか。一般的に、投資を分散してリスクヘッジすることが良いといわれる。でも、人生はポートフォリオじゃない。自分自身を「分散」させることなんてできない。不確実だから保険をかけるのではなく、「何をするか」に集中をすべきだ。「ひとつのもの、ひとつのことが他のすべてに勝る」のであって、その「ひとつのもの」が持つ将来価値を真剣に考えるべきだ。
・・・という話。

著名な方の本とか、何かを成し遂げた方の話に触れて思うのは、そもそも「ひとつのもの」を見つけることの難しさ。集中すべきだというのはおっしゃる通りだし、その集中力をいかに高められるかということこそが成否を分けるのだろう。並大抵の力ではないはず。ただ、そもそも、その「ひとつのもの」に出会う前のことにはあまり触れられていないなぁ、と。

私の周りでも、すごく前向きに仕事に取り組み、素晴らしい力を持ち合わせた人がたくさんいるけれど、そういう人が、「ひとつのもの」が見つからないと感じているケースはとても多い。だから、そもそも「ひとつのもの」をどうやって見つけたのか語ってよ、と思ったり。

それで、もやもや考えていたのですが・・・「自分が持っている力、これから持ちうる力をどう使うか」に集中すればよいのだろうという考えに至りました。正しい力の使い方に集中していれば「ひとつのもの」との出会いなんて、気づいたらいつの間にか済んでいるのかもしれないなぁ。そして、力は誰もが持っているものだから、誰にだって「ひとつのもの」はあるんだろう、と。

私の場合、2年ほど前に、これからやろうとしているビジネスの着想を得ました。時間が経っても、批判的な指摘をもらっても、それに対する想いが薄れませんでした。働きながら並行してやる方法なども模索してみたけれど、残念ながらそういう器用さを持ち合わせておらず、中途半端な「今」を過ごすことが一番のリスクだと感じるようになりました。安定を欲する気持ちもある。でも、現状維持を狙って現状維持なんてできるわけがない。そうであるなら、いっそ自分の力をすべてぶつけてみようと思い、起業という決定をしました。

そうして、最終出社日から1週間が経ちました。この決定が、自分にとって「ひとつのもの」かどうかは、どうやらまだ不確定です。今になって、よく気持ちが揺らぎます。自分の考えが浅はかすぎたのかもしれない。もっと掘り下げて考えるべきではなかったか、と。でも、それでよいのだと思っています。不安を抱き、痛みを伴っても、それでもそこにしがみついてやっていけば、とりあえず無駄にはならないはず。

自分の力を使う道に、どこまで集中できるか。別に起業をしたからというわけではなく、いつでも、そういう勝負なんだと思うんです。

個人の限界が、組織の限界であってはいけない。

かつて、部署や事業の責任者として組織のマネジメントを任せてもらっていた時に、意識していたこと。個人の限界が、組織の限界であってはいけないということ。結局、どうすればよいのかということにいまだ答えは出ていないのですが、だからこそ、記しておこうと思います。

私の場合、20代後半から部門長という肩書で仕事をさせてもらって、大小さまざまな組織のマネジメントを経験させてもらいました。

最初は、自分のやり方をとにかく押し付けるということをしていました。当時は、結果を出したことで責任者になれたという変な自負があったので、同じやり方を全員に押し付けるというやり方しか思い浮かばなかった。で、結果としては、だれもついてきてくれなくなった。部署のみんなが、「辞める」と言い出したほど・・・。

どうしてよいかわからず、路頭に迷っていた時に、今でもお世話になっている先輩からアドバイスをいただきました。「確かにお前は10点取れるかもしれない。部下のみんなは5点かもしれない。でも5人の部下がいたら、25点だよ。一人で25点取れるか?そして、みんなが6点取れるようになったらどうなる?それが管理職の面白いところだよ」と。当たり前のことかもしれないけど、ちょっと調子に乗った新米管理職にとっては、かなりガツンとくるメッセージでした。

次に任せられた部署では、前回の反省を踏まえ、先輩の教えを胸に、臨みました。あと、カーネギーの「人を動かす」という本にもかなり感化をされて。

みんなのやりがいを重視して、意見を尊重して。結果として、すごく雰囲気のよいチームになった。本当に毎日が楽しくて、がりがり仕事して、がんがんお酒も飲んで・・・。あのころの一体感というのは、すごかったなーと今でも思うくらいです。

ただ、振り返ってみると、その時のチームのパフォーマンスが、ベストだったかというとそうではなかったように感じます。先ほどの何点取れるかっていう話で言うと、自分が10点取れるのに、みんなのやりがいを重視して、5点に対してOKを出していた節があるように思うのです。もしくは自分にも10点が見えていなかったのかもしれません。少なくとも、私が雰囲気の良さに甘えていた。5人のチームが5点取ることも大事だけれど、それをそれぞれ10点にすることを目指して試行錯誤をすることを怠っていたように思います。

この二つの経験を踏まえると、10点を取れるなら取れるでそのやり方を見せなくてはいけない。ただそれを見せることによって、メンバーのやり方を否定したり、みんなが盲従してしまうような環境をつくってはいけない。それ以降、なるべくそれを意識して取り組んできたつもりですが、はてさてうまくできていたかどうか。

そして最近、もうひとつ新しい気付きがありました。(今は管理という仕事から離れているので、少し客観的に見れているのかもしれません。)

そもそも10点というモノサシ自体がどんどん変わっていく必要があるべきですよね。それが「組織が限界を超えていく」ということだと思うんですが、特定の個人がどれだけすぐれていても、やはり一定の基準値が設定されていると、それとの対比でしか語れなくなってしまう。それだとやっぱりその個人の10点以上は取れなかったりする。

それなら、いっそのこと、マネジメント側のモノサシを見せないというやり方はどうだろうか、と。

メンバーのやりたいように自由に考えさせる。ただし、10点未満でOKは絶対に出さない。そして、正解は言わない。点数もつけない。メンバーにとって、これほどやりづらいことはないかもしれません。マネジメント側にとっても、ブレない10点のモノサシと、理解不能な10点以上とおぼしきものを見極める眼力がなくてはいけない。それでも、そうすれば、個人の限界に影響されることはなくなりそうです。

一般論で言えば、もちろんビジョンや方針が指示されて、それに向けて一貫性をもって戦略がつくられて・・・となるのでしょうし、それはその通りだと思います。ただ、こと組織のマネジメントにおいてみたら、必ずしも明示することが正しいとは限らないのかもしれません。明示することの弊害を知り、マネジメント側もメンバーも不確実性に耐えうる強靭な組織体というのが存在するのでしょうか。

そういうやり方を、意識的に選択できている方がいたら、すごいだろうなぁ。それこそ、個人の限界なんてものを組織が簡単に超越できるのかもしれません。もしかしたら、あの人やあの人のマネジメントはそうだったのかもしれない、と思ったりしています。

矛盾という器

人にとって、組織にとって、その中でどれだけの矛盾を共存させられるかっていうことが「器」になるんじゃないかなぁ、と思うんです。何かひとつのことにすごく秀でている人ってたくさんいるけど、そういう人よりも、すごい厳しいけど愛情たっぷりの上司、とかのほうが「器」がでかそうなイメージがあるんですけど、どうでしょうか?

どんな仕事であれ(まぁ仕事以外でも)、私たちはしょっちゅう矛盾に直面します。何か、コンテンツをつくっていれば「量と質」のどちらを追うのか?って話になる。プロジェクトにかかわっていれば、「納期と完成度」のせめぎあいになる。何か新しいことを始めようとすれば「安定とリスク」の間で揺らぐし。

で、いろいろ葛藤はするものの、結局のところ「まぁ、これとこれはトレードオフだよね」なんて言って折り合いをつけながら、どっちかを選択して日々を過ごしていたりするわけです。

でも、当たり前の話なんですけど、本当は「どっちも」が理想的な答えなわけですよね。

大学を卒業したての頃、写真のワークショップみたいなところに通っていたことがあって、その時に森山大道さんという(すごく有名な、と補足するのも恐れ多いですが・・・)写真家の方に話を聞いたり、写真を見ていただいたりしたことがありました。すごく有名な方だとは知っていたものの、正直、当時の私は森山さんの話にすごく違和感を覚えました。ご自身のとられた写真についてひどく説明的に、そして、すごく当たり前のことをずいぶん御託を並べて話すなぁ・・・と。

今にして思えば、どうにも自分の浅はかさを恥じる次第ですが、当時、芸術表現とはとにかく感覚的なものだと、感性を研ぎ澄ませていくことこそすべてだと、そんな風に思っていたわけです。しかし、本当に表現をしている方は、そうではなかった。なぜ写真をとるのか、なぜこの写真を撮ったのか、なぜこういう見せ方をしたのか。それらをものすごく明確に、深く意識している。そしてそれを超越してあまりある感性によって表現が完成されている。見事に両極に振り切れているんですね。

芸術表現に限らず、あらゆる仕事が、こうあるべきだよなぁ、と最近改めて思うわけです。量を増やしたいから質を落としてもよいよねとか、納期を守りたいからまずまずの完成度でいいよね、とか。論理的に考えて、とか、選択と集中とか言ってみたりすると、それっぽい感じになっちゃうけど、それって素人の仕事なんだ。それでメシを食っている以上、いかにしてすべてを成り立たせられるのかを突き詰めるべきだ、と。

一個人のスタンスだって同じで・・・自分の価値観を明確に持つことは大事だけれど、だからといって異なる価値観を受け入れることが不要になることはない。周囲とうまくやることは必要だけれど、議論を回避してよいわけがない。このブログだってそうで、頻繁にアウトプットすることを習慣づけたいけど、じゃぁなんかテキトーなことを並べていたら誰も読んでくれなくなっちゃうだろうし。(結果的に、あんまりアウトプットできていないのだから目も当てられませんが・・・。)

どちらか一方に寄っていたほうがずいぶん過ごしやすいはずです。なんだか宙ぶらりんに、あっちに行ったりこっちに行ったりしていたら、どうにも落ち着かない。両方を手にしようと思ったら、手が浮かばなくて途方に暮れそうだし。でも、そこで踏みとどまってあっちにもこっちにも行きたい、あれもほしいこれもほしい。矛盾を矛盾で片づけるのではなく、その中でさまよって、葛藤して、試行錯誤して、考え倒していこうと思うんです。

そして、どうにかして相反する二つの事柄をそれを成り立たせられたとき、そこに呑み込めた矛盾の分だけ「器」が少し、広がっているのかもしれません。そういうわけで、今日も明日も、粘って粘って、過ごしていこうと思う次第です。