ぼくらは仕事で強くなる。

人や組織のこと、事業のこと、働くってこと。LoanDEAL代表のブログです。

魔法が解けた感じ。

魔法が解けてしまった感じ、ってないですかね。

時々、何か大きなものと繋がっているような感覚で、導かれるように何かが進むとき、があって、でもそういう感覚は、ふっと消えてしまう。うまくいっていたことがすべて偶然で、全部が一気になくなっちゃうんじゃないか、ってどきどきする。

今、まさに魔法が解けていて、いかんなぁと思うわけなんですが、目の前で起こっていることはそんなに悪くない。だからもしかして傍から見たらたら、すごく順調そうに見えているのかもしれないけど、実はすごく恐怖感がある。

それってなんでなのかなと考えてみたんですが、「今」がいいか悪いか、っていうのは何かと繋がっていた過去の余韻であって、今の状態がどうかということとはあまり関係がないからななのかもしれません。

大きなものと繋がっている感じ、と書いたけれど、それはなんのことはない。自分が考えうるすべてのことに感覚を張り巡らせ、チャンスを逃さぬように反応し、とにかく手と足と頭とを動かしつづけていたというだけなのかもしれない。

むかし、娘を後ろに乗せて自転車をこぎながら、下り坂って快適だよなー、でも、快適なのは「下り坂」なんだなー、なんて思ったことがある。上り坂を必死になってこいでいる時にこそ、しんどいけど上向きなはず。

なぜか時々、学生時代の夢を見るんですよね。卒業間近に控えていて、学校を自転車でうろうろしてるんだけど、実は単位が足りなくて卒業できないんじゃないかって走り回っている・・・みたいな夢。今朝は、AIの授業をとっていて、その単位が足りない、みたいな状態だったな。(笑)別にそこでそんなに苦労した記憶もないんですけど、何か、大事な何かを一つ忘れちゃっている恐怖感、みたいなものの表れなのかな。目覚めて、あぁよかった、卒業できてた、って思うんだけどね。でも、もしそれが現実でもう一回、学生やらなきゃいけなくなってたら、それはそれで楽しめたかも。と思ってみたり。(もう20年近く前なのに・・・。)

なんか心が沈み込んで、深い海の底にいるような気分になるとき。海の底だとしても、上にあがる過程をどう楽しむか。あがいてあがいて、光が差す道筋を探して何とか上にあがってやろう。やり方は分かっていて、目の前のことに集中すること。やっぱり、「今、ここ」なんだろうな。できうること、出しうるものをすべてぶつけてやっていればきっと何とかなる。

実はしんどい時が、調子は上向きなんだ。魔法が解けた今こそ、次の、もっと大きなものとつながるチャンスなんだ。って。

そう信じて、情熱を温めなおして、またもう一度、歩き出そう。

巻き込み力、について。

これは半ば、レンタル移籍をしている皆さんに向けて、そしてあわよくば、何か新しいことに挑戦している方々に、参考になればいいな、と思って書きます。

 

私がやっているローンディールという会社では、大企業の方々に一時的にベンチャー企業に出向・研修という形でレンタル移籍し、プロジェクトに参加してもらうという仕組みを作っています。特に大きな企業にいた人がいきなりベンチャー企業という後ろ盾のない世界に飛び込むと、当然、社内のリソースも少ないし、パートナーとなるような企業も限られている中で、「周りをどうやって巻き込めばいいか」ということで悩まれるケースがよくあります。実績も知名度もない環境で、周囲の人や企業の協力が必要なんだけど、どうしたらいいかわからない、という壁にぶつかるのです。

 

実績があれば、その実績を根拠に相手が得られるであろう価値を示せる。それを期待して協力をしてくれる人が現れます。でも実績が出る前の段階で、そういうのがないときにどうやって周りから力を分けてもらうかというのはとても難しい。

 

私自身起業して、2年ちょっとの身なので、おこがましい話ではありますが、自分なりに意識していることを共有してみます。ポイントは、以下の5つ。

・自分ごと化して語る。

・恥を捨てて、さらけ出す。

・自信をもって楽天家になる。

・丁寧なコミュニケーションをとる。

・芯を捉える。

それぞれについて、少し解説をしてみたいと思います。こういうのはもっと、いろいろうまくいっている人が書くべきことな気もするんですがね・・・、何かの参考になったらとても嬉しいです。

 

「自分ごと化して語る」

とにかく、なんでこの事業をやっているのか、を語ることがやっぱり一番大事だと思います。実現しようとしていることは、話を聞いたすべての人が同意するようなものではないわけですから(そんなものなら誰かがやっている)、そのアイディアを聞いた時に「あぁ、だからこの人はこんなことやっているんだね」という合点がいくかどうかは大事なんだろうな、と思います。

 

例えば、レンタル移籍で人材を受け入れてもらっているトリプル・ダブリュー・ジャパンさん。いつトイレに行きたくなるかを教えてくれるデバイス「Dfree」を展開しているスタートアップ。ホームページを見ると、いきなり「私、うんこもらしたこと、あるんです。」と。あぁ、だから!!って納得感がすごい。もちろん、そうじゃないいろんな理由や目的があって、起業をしているはずだけど、この一言ですべて合点がいく。

 

そして、自分ごと化して語れるストーリーは、起業家だけに必要なことではなく、そのチームに所属しているなら誰もが持っておくべきだと思うんです。起業家だけでは語れる範囲に限界があるし、ひとつのストーリーしかなかったら共感してくれる人も限られてしまう。せっかく新しいことをやっているなら、そこに参画しているみんながストーリーを持っていたら、強いと思うんですよね。

 

最初はこじつけでもなんでもいい。下手なストーリーでもいいから、ネタをつくっておいて、なるべくいろんな人に話す。友達とかにでもいいので話してみて、受けるところ受けないところを見極めて、ちょっとずつストーリーを磨いていく。とにかく、話しつづけることが大事。話していると自己暗示もかかってくるものです。そうしたら「あーその気持ち、自分もわかる!」っていう人がちょっとずつ現れてくるはず。

 

事業と自分を繋げるオリジナルなストーリーをつくって、語ってみるといいんじゃないかな、ということですね。

 

「恥を捨てて、さらけ出す。」

甲子園が、好きなんですよねー。別に高校時代には野球やっていなかったけど。ぐいぐい引き込まれるし、応援したくなる。それって、何をやっているのか、何のためにやっているのか、どんな状況なのか、いろんなことが容易に想像できるからなんだろうな、と思います。3年生でキャプテンやってるけど補欠、みたいな選手がいたら、2年の冬にけがしたのか、もともと元気さを買われてキャプテンになったのかな・・・とか、勝手に妄想で盛り上がれる。

 

応援する側にとって、状況が分かるということは大前提になります。自分ごと化したストーリーというのもその一つです。ただそのストーリーだけでは足りなくて、それに対して今どんな状況か、ということをわかってもらう必要がある。そしてそれは多少、格好悪い方がいい。

 

Facebookで近況をあげるときとか、ついつい格好つけたくなります。うまくいっているようにアピールしたくなります。でも、そういうイケてる投稿を見て、すごいなーと思っても、別に応援したいっていう気持ちはわかないですよね?

 

他人の不幸は蜜の味。不幸と言わないまでも、苦労してもがいている姿に人は惹かれるんだと思うんです。そして幸いなことに、新しいことやってたら、実際のところ格好悪いことばっかり。だから恥を捨てて、格好悪い部分をちゃんとさらけ出せばいい。別にFacebookとかに限った話じゃなくて、商談相手だったり、社内の人だったり。格好悪いネタをどんどん作って、どんどん自己開示しちゃえばいい。

 

製品やサービスにしたって同じです。完成してから見せるんじゃなくて、未完成の段階から見せることが大切ですね。(ちなみに本人としてはいたって真面目に完成していると思っているのに、はたから見たら未完成みたいな状態、がベストかな。)そしてそれを断片的に見せるのではなく、変化を継続的に見せる。そうすることで相手の中でストーリーができていって、応援したくなっていくんだと思うんです。

 

状況が分からなきゃ、応援なんてできません。うまくいってるばっかりじゃ、応援しがいがありません。だから、どんどんさらけ出せ!!ってことですね。

 

「自信をもって、楽天家になる」

私の大好きなCMで、「恐れることを恐れるな」ってオシムさんが言うやつがあるんですが、ご存知ですかね?その中でオシムさんが問うんです。「自分を信じられない人間を、どうして他人が信じられるだろうか」って。もうその通りだな、と。

 

オシムさんは言います。「今、この時代において、自分に自信を持っている人間はそう多くはない。恐れることを恐れるな。進め。」

 

自信って何でしょうか。自信にもいろんな種類があるでしょうけど、物事の成るか成らないかではなく、今、自分がやっていること自体に、ちゃんと自信をもっていることが大事だなと思うんです。成功する確率の高低で自信を持てるわけじゃない。最初の話と被るんですけど、「なぜ自分がこれをやっているか」をクリアに話せるかどうか、それが自信だと思います。

 

そして、それがクリアになってしまえば、失敗もさらけ出せる、そして、応援してもらえる人が増える。自信を持つと、そういうサイクルが回り始めるんじゃないかな。しかも、そういうサイクルが回りだすと、いっぱい失敗した方が、お得になる。だって、ネタが増えるから。そう思ったら、楽天的になれませんか?失敗した時にもすぐ立ち直れる。

 

あともう一つ付け加えておくと、結局、自分が失敗しようが、別に誰も大して気にも留めないし。失敗した時にも、周りに残ってくれるのは、格好悪いと思わない人だけです。そうじゃない人は、すっかり忘れます。

 

だから、別に大丈夫なんです。失敗したって、恥かいたって大丈夫。「今」に自信をもって、結果とは切り離して楽天的になって、とことんやれば大丈夫。

 

「丁寧なコミュニケーションをとる。」

いきなり話が飛びますが、ビジネスマナーとか、コミュニケーションとか、相手にちゃんと知ってもらう、覚えてもらうための工夫っていうのはすごく大事だと思うんです。

 

例えば、アポイントを取るとき、こちらが会いたいと打診をするのであれば、ちゃんと候補日を提示する。(会いたいんですけど、いくつか候補日くれませんか?っていう方がたまにいるんですけど、候補日、出したりするのすごくめんどくさいし、やっぱり3つくらい候補日を出すのがマナーだと思うんですよね。)

 

誰かに人を紹介してもらって会ったら、やっぱりその後に、紹介してくれた人に結果を報告すべきだと思う。

 

交流会とかで知り合ってFacebookで友達になってくれたら、やっぱりお礼のメッセージくらいは送った方が良いと思うし、その時に、自分がだれで何者かを一言添えておくことで、格段に覚えてもらえやすくなる。

 

年齢や役職などで態度を変えない方がいい。なるべく愚痴は少ない方がいい。

 

・・・などなど。自分も全部はできてないし、起業した直後はできていたのに最近ずさんになっていることもあったりするので、多分に自戒も込めていいますが、やっぱり丁寧にやる、相手のことを尊重してやるっていうことはとても大事なんだと思うんですよね。それがないと、応援する気になんてならない。

 

そういう点において、ビジネススキルを磨いておくことは当たり前ですが必須ですよね。思考力や文章力みたいなものもそうだし、会食などのマナーも含めて。こういうところで相手の気持ちが離れてしまったら勿体ない。

 

「芯を捉える。」

これはとっても難しいことだと思うんですが、芯を食っているかどうか、っていうのは大事ですよね。論理的に考えるとそうだよねー、って思うだけでは、なかなか相手にも響かないと思うんです。

 

例えば、私が取り組んでいる「レンタル移籍」という事業にしても、いろんな言い方があって、いろんなプランが作れて、何度も何度も資料を作り直したりしてきたわけです。で、同じビジョンで、同じ目的のために提案しているのに、全然刺さらない、みたいなことが起こるんです。あんなに応援してくれていた相手に話しているのに、全然手ごたえがない、みたいな。そういう時、あぁ芯を外してんなぁ、って気づくんです。

 

ちょっと抽象的で伝わりにくいかもしれないんですが、外側じゃなくて、芯の部分で相手の心を捉えられているか、ってことが大事だと思います。これ、説明するのがとても難しいですね。一度、芯を捉えた場面や手ごたえみたいなものを経験できるとわかるようになる気がします。そう考えると、とにかく打席に立って、バットを振り続けるしかないのかも。

 

起業家の近くにいるのであれば、たくさん同行させてもらってバットを振っているところを見せてもらうといいかもしれません。そうしたら、彼らもたくさん空振りしていることにも気づくでしょう。そして、芯を捉えたら、どうなるかも見れるはず。そういう水準に達した言動をできているか、それに達するにはどうしたらいいか、日々試行錯誤していることは大事だと思います。

 

と、いうことで、周りを巻き込むためのポイントを5つ挙げてみたのですが、いかがでしょう?

 

自分ごと化して語れるストーリーを作って、恥を捨てて、さらけ出す。自信をもって楽天的にやる。ビジネススキルをしっかり身に着けて、相手の立場を意識して丁寧なコミュニケーションをとる。そして芯を捉えられているかどうか、感覚を研ぎ澄ます。

 

書きながらいろいろ反省したり、気づいたり私も少し整理ができたように思います。ぜひ感想、お聞かせいただけたら嬉しいです。

ハードワーカーは、だめですか?

ハードワーカーって時代遅れなんでしょうか?

 

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」、好きなんですよね。あの番組に出てくる方々って、師匠とか上司とかからめちゃめちゃ厳しい指導をされたり、四六時中葛藤していて悶えている。そうして何かを乗り越えていく人たちのストーリー。ちょっと古いけど、「下町ロケット」とかも、面白かった。(リアルタイムでは見れなかったので今更引き合いに出しているわけですが・・・。)何日も徹夜で試行錯誤して目標に達しようとする挑戦者たちのドラマ。働き方が変わったら、こんなドキュメンタリーやドラマも人気がなくなってしまうんですかね?

 

やっぱり、いつの時代だって、何かを「命」と見立ててハードワークしている姿に、人は心を打たれるんだと思うんです。

 

そして、そういう働き方って、ごく一部の限られた才能のある人だけ、何か自分がなすべきことと出会えた運のいい人だけにしかできない類のものじゃなく、きっと誰だって、そういう働き方ができるんだろうと思うんです。

 

昔、それこそ「プロフェッショナル」で、たしか高倉健さんが「プロフェッショナルとは?ぽーん」のあとに、「生業」といっていたんです。それが、ものすごく良くて。「生業(なりわい):生活を立てるための仕事。家業。職業。」です。誰だって、何かしらの仕事をしてお給料をもらって生活しているのであれば、それが「生業」ということですよね。

 

目の前にある仕事。その目の前の仕事が、自分にとって唯一無二のものであると、天職であると思い定め、向き合ってみる。何かしらそこに、自分にしかできない価値の出し方を付加してみようとする。昨日より今日、今日より明日、少しずつでもより良くなるような変化を与えてみようとする。そうして、気がついたら四六時中考えている。楽しいとか楽しくないとか、ではない。当たり前のことを当たり前にやっている、という感覚。だから、労働時間がどうのという話は一切関係なくなっちゃっている。そんな状態。 

 

やっぱり何かに対してそういう向き合い方をして、強くなるんだと思うんですよね。何のために強くなるかっていう目的はそれぞれだろうと思うけど。私の場合は、家族とか自分の人生を大事にしたいから、強くなりたいと思う。だから、そういう仕事の仕方をしていたいな、と思うんです。

 

すごく単純な話で、実際には多くの人がそういう働き方をしているような気もするんですが・・・なんか、大きな声で言えない雰囲気が出てきちゃっているような気もするので、あえて。

 

ハードワーカー、かっこいいじゃん。

 

 

【イベントのお知らせ】

6月13日に、私のやっている事業の事例紹介イベントをやります。中堅企業の取締役の方が二人だけのベンチャー企業にレンタル移籍して、ハードワークした話を伺おうと思います。ハードワーカーの皆さま、ぜひぜひご来場ください。

loandeal31venture01.peatix.com

 

 

 

「できる仕事」と「できない仕事」

諸事情あって、ブログなんて書いている場合じゃないんですけど、なるほどーという気づきがあったのでちょっとだけ。

 

皆さんは今、「できる仕事」と「できない仕事」のどちらをやっていますか?むかし一緒に働いていた仲間と話していて、そのどっちをやっているかによって時間とともに明らかに「差」がついてくるね、という結論になりました。

 

30代も半ばくらいになってくると誰が出世して、誰が出世してなくてみたいなのがだんだん出てきますよね。その時にやっぱり「できない仕事」をやってたやつの方が上に行っている気がするんです。(必ずしも組織での出世という話にしたいわけじゃないんだけど、そこはいったん単純化して話します。)

 

「できない仕事」やっている奴は、やっぱりできないからよく上から怒られたり、失敗したりしている。でも、やっぱり「できない」なりにストレッチがきいていくので、少しずつは成長していく。悪意はないけど自分勝手で、でも一生懸命だから応援したくなっちゃう、みたいなひとかもな。

 

「できる仕事」をやっている奴は、貢献意識が高くて、もしかするととってもいいやつ。だけど、自分のできるラインを超える機会がだんだん減っていくから、どこかのタイミングで平均的な仕事に埋没してしまう。

 

最初はみんな、つまり新入社員のころは「できない仕事」しかないわけだから、みんな成長するんだけど、数年たつと徐々に、どっちを選ぶか、というのが出てくる。それに「できない仕事」を選んで怒られるのはだれだっていやだから、時間とともに「できる仕事」に多くのひとが移行していく。はたしてどこまで「できない仕事」を選び続けられるか、我慢くらべみたいな感じかも。

 

単純にどっちを選ぶかみたいな話にしちゃったけど、おそらく多くの人にとってそれは比率の問題だと思う。ある程度「できる仕事」が増えてきた状況の中にあって、「できない仕事」を選ぶって意外と難しいことかもなぁと。ちなみに、「できない仕事」って、難しい仕事とは全然違うと思うんだけど、難しい仕事やってれば、充実感もあるしね。 

 

「できない仕事」が、今自分の眼前にひとつでもあるだろうか、そんなことを問いかけながらやっていくのが、いいのかもしれないな、と思うんですがいかがでしょうか。

 

ちなみに今の私の眼前には「できない仕事」が山積していて・・・ああ、単に自分を慰めたくて書いただけかもな。ということに気づきましたとさ。

 

では。

100年人生の人たちが働く未来企業ってどんなだろう。

ちょっと今さら感もありますが、リンダ・グラットンさんの『LIFE SHIFT』を読み終わってから、またまた読みかけだった『未来企業』を立て続けに読んでたらちょっと頭が混乱したので、その話を。

『LIFE SHIFT』では、平均寿命は100歳を超えて80歳くらいまで働くことが当たり前になって、そのキャリアはパラレルになることもあるし、全然違う職業へ転身(変身)する能力が求められるようになるということが指摘されています。有形資産だけではなく無形資産を蓄積すべきという話や、人生の途中での学びなおしの必要性なども、100年人生と考えたときにはとても納得感があります。

一方で、『未来企業』は、不確実性の増す世界では企業にレジリエンス(ざっくりいうと適応力、回復力、弾力性)が求められるという話です。そして、企業におけるリーダーシップには、組織を後世に持続させる可能性を重視し長期的(25年以上)な時間の幅で戦略を立てる能力が必要になってくると指摘されています。これもまた、仰るとおりだなぁと思うわけです。

ちょっと余談になりますが、(正確な数値は忘れましたが)創業家が代々継いでいる企業の方が利益率が高いとか、イノベーションを起こしやすいと聞いたことがあります。これは子供や孫に組織を譲りたいという思いが強いからでしょう。また、300年以上続いている企業の半分以上が日本にあるそうです。このあたりのことから考えると、『未来企業』に指摘されているような長期視点を持ったリーダーシップというのは、日本企業の強みなのかもしれないなぁと感じます。

話を戻して・・・

『LIFE SHIFT』に書かれている個人の視点、『未来企業』で指摘される企業の視点、それぞれに納得感があるものの、これをどうやって両立させるのはとても難しいことだな、と思うのです。

個人が人生を充実させるには画一的なキャリアは回避すべきだが、企業のリーダーとなるべき個人が長期的に企業の成長を考えるためには、それなりに長期間にわたって企業との関係を維持していることが必要だと思うわけです。では、リーダーとなるべき個人は変身をあきらめざるをえないのか、変身能力は低いが長期視点を持てる人がリーダーとして適性のある人なのか。

平たい言い方をするなら、どんどん他の会社に移っていくようなキャリアの中で、それぞれの企業の将来、つまり自分が辞めた後の企業のことを考えながら戦略を考える、なんてことのできる人って、どれくらいいるものでしょうかね。

『未来企業』の中に書かれていた話でちょっと印象的だったのは、「一般的に後継者選びの担当者は70~80%を社内で育成し、残り20%は社外から幹部として招聘している」という話です。さらっと書かれているんですが、もちろんこれは日本企業の話ではありません。(ちなみに東証一部上場企業のうち、新卒社員が代表者となっている企業は全体の60%だそうです。)つまり、企業がリーダーを決めるときには企業文化や価値観との適合性というのが重要視されるというのは万国共通のようです。

個人のキャリアにおいては選択肢を広げられる能力の蓄積が求められ、企業には今以上に長期視点が求められる。こう考えると、個人は単に転々と新しいキャリアを求めるのではなく、何かしらの軸(これが、例えばある特定の企業という軸)を持ったうえで選択肢を広げるというやり方が良いのではないかな、と思うのです。これ以上書くと、ポジショントークになっちゃいそうなので、このくらいにしておきますが、ぜひ他の考え方やご意見があれば、教えていただけたらとても嬉しいです。

いずれにせよ、働き方についての話がとても増えていく中で、個人としてどうあるべきか、企業としてどうあるべきか、両方の視点を行ったり来たりしながら考えないといけないんじゃないかなぁと思う今日この頃です。

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負けたから終り、なんじゃない。

特にスポーツの世界がわかりやすいと思うんですけど、なんでここで、この人が負けるんだろうなー、ってことがよくありますよね。最近だと、レスリングの吉田が銀メダルに終わっちゃったとか、ボクシングの内山とか、ちょっと前だと、サッカー日本代表で最後に香川がPK外したとか。

 

そりゃぁもちろん、負けたら苦しい、悲しい、悔しい。でも、それは終わりじゃないんだと思うんです。それが始まりなんだと。スポーツの世界では、圧倒的な負けによって現役引退を決意する人もいる。もしかしたらスポットライトのあたる舞台(つまり見ず知らずの人がその人の情報を入手できる機会)は減るかもしれない。でも、その人の人生は続いていくし、その「負け」というストーリーが絶対にその人生の中でバネになっていく。次の「勝ち」につながっていく。

 

夏の甲子園、よく話題になる田中将大斎藤佑樹の投げ合い。もし決勝で勝ったのが田中だったら、彼が最後の打者じゃなかったら、彼は今、ヤンキースに居れただろうか、とか思っちゃうわけです。オリンピックとかサッカーW杯とかでも、予選を圧勝したチームより、ギリギリで本大会に出れたチームが優勝したり、ってよくある話。

 

つまり、どこで「負け」がくるかっていうのがとっても意味のあることなんだと思うんです。何をもって勝ち負けとするかはそれぞれ違うけれど、それぞれの尺度の中で。

 

そこから転じて、企業とか起業の話。会社を作るっていうのは「法人」という、新しい人を作るもので・・・みたいな話が、起業マニュアルとかに書いてありました。ただ、普通の「人」と違う(そりゃもちろん違うんだけど笑)のは、寿命が明確だってことだなーって思うんです。このままいったら、201x年x月に死ぬってことがわかる。その寿命は延びたり縮んだりする。

 

つまり、自分たちが命と見立てた事業をやるために「法人」は生きているのだけれど、「死」っていう勝負できない状況がくることを明確に突きつけられている。それはベンチャー企業だって、本当は大企業だって同じ。この事業をやるために、生きたいと思う。だから勝負をする。そういうもんなのかもしれません。

 

でも、それを起業家個人・社員個人の話にすると、例えば企業が「死」を迎えたとしても、人にとってはただの「負け」に過ぎない。さらに、人間に関していえば寿命はわからない。だから、タイミング次第で勝って終わるかもしれないし負けて終わるかもしれない。それはコントロールできないから、勝って終わりたいなんて考えることは不毛。いずれにしても、そこで残るのは勝ったか負けたか、ではなくて、どんな勝負をしたかってことだと思うんです。

 

勝負をしている世界は、楽しい。勝負をしている人は、美しい。

 

ただ、負けるの、嫌だよね。ちょー怖い。格好悪いし。でも、たいがいの勝負で、僕らは負けたからって死なない。(ずいぶんといい時代に生きているなぁ。)死んだら勝負できないけど、裏を返せば、生きているってことは勝負できるってこと。

 

だから、負けたやつに言いたい。特に派手に負けたときに。それは自分に対しても。すべては「負け」から始まるんだ、って。せっかく派手に負けたんなら、そこで勝負をやめたらもったいない。絶対、次はもっとでかい「勝ち」があるぜー、って。

 

そう思っていたら、きっと、いつだって恐れることなく勝負できます。

 

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ひと月は光のように早くて、昨日は果てしなく遠い。

どこに、か判らないけれど、なんだか最近、導かれている感じがするんです。

 

元来、私は、なるようになるとか、あるがまま、みたいなことがすごく苦手で、いつも力んで足掻いて悶々とする性質なんですが、それでも最近、いろんなことが実は予定調和なんじゃないかって感じることが多くて、今日はそんな話です。

 

例えば・・・

 

ある資料の提出期限の日に入っていた商談の予定が、立て続けにリスケになって一日すっぽり空いてしまって。あぁこれって資料作りをがっつり集中してやれ、クオリティを高める努力をしろ、ってことなのかなと。

 

そうかと思えば、しばらく連絡がつかなかった方々から立て続けに連絡をもらえたり。別に意図も期待もなく参加したコミュニティで、こういう人に会いたいなぁと思っていた人に、偶然出会えたり。

 

今まで、あんまりビジネス上で同じ大学の出身者に会うことはなかったのですが、最近になって急に30歳も上の大先輩に会って応援をしてもらえるようになったり、同級生に15年ぶりに会ったら、同じような領域で事業をしていたり。

 

2015年9月15日にサービスをローンチしたのですが、その翌朝、祖母が亡くなりました。なんだか、1日待ってもらったような気がしました。そして、ローンチ後の目まぐるしい展開の中で、静かに、目を伏せる時間をつくってもらったような。

 

・・・こんなふうに、毎日毎日、いろんなことが起こります。何だか一つひとつが仕組まれたような感じで。

 

傾向としては、何かに依存したり 、誰かにもたれかかるような発想を持っているときは良い方向に行くことはありません。結局、ネガティブなことが起きるってことは、自分のコントロールできる範囲の外にあるからなんですよね。だからそこにはたくさんの示唆があって、自分が自分で立てている場所と、そうじゃない場所に気付くきっかけをくれます。

 

そして、本当は、これって今に始まったことではないんだろうと思うんです。いつだって、起こるすべてのことに、何かしらの理由や意図があって、過去と、今と未来につながっている。まぁ考えてみれば当たり前ですよね。人はその3つの時間を連続して生きているわけですから。ただ、それに気づいているかどうか、そこから何かを読みとれるかどうか、なんだろうなぁと思うわけです。

 

すべては決められていて、なるようにしかならない。そういう前提に立ったら、随分と気持ちが楽になります。何が起きても、どこかに、何かにつながっている。不安も恐れも無意味だ。やりたいようにやればいいんだ。

 

日々があっという間に過ぎていくのに、1日が濃密すぎて、振り返ったら、あぁあれはまだ昨日の出来事か・・・みたいなことがたくさんあります。それは、いろんなものが時間軸を超えて絡み合って、繋がっているからなんじゃないかなぁと思うんです。それはとてもいい時間です。

 

一つひとつの出来事の意味を見逃さず、大切にやっていこうと思う今日この頃です。